殉教地に建てられた
カトリック教会
全州は、朝鮮王朝を建国した太祖・李成桂の本貫で、太祖の肖像画が奉安された慶基殿があります。このため、全州は漢陽(現在のソウル)、平壌(現在の北韓の首都)とともに朝鮮時代(1392~1910)3大都市のひとつと呼ばれました。朝鮮時代、儒教の強力な影響下にあったこの都市で、カトリック教の信仰から両親の法事を拒否して位牌を燃やした事件にかかわったユン・ジチュン・パウロ、クォン・サンヨン・ヤコブの2人の信者は斬首刑に処せられた後、近くの豊南門の城壁に首さらしになりました。これは、1791年に朝鮮で起こった初のカトリック教殉教事件で、殿洞(チョンドン)カトリック教会はこのような歴史的な場所に建てられました。
カトリックへの迫害が極めて酷かった地域にカトリック教会が建てられるようになったのは、それから約90年後の1886年、朝仏修好通商条約によりフランスが求めてきたカトリック教の布教と信者に対する身分保障条件を朝鮮側が受け入れたためです。布教活動への自由が保障されると、フランス人神父ボードゥネ(Francis Baudounet)が1891年に敷地を買い入れ、1908年にはフランス人神父ヴィクトル・ルイ・ポワネルの設計で着工し、1914年に完工しました。
殿洞カトリック教会は、ビザンチン様式とロマネスク様式の調和で完成した建物で、韓国で最も美しいカトリック教会建築物のひとつに挙げられます。赤色と濃いグレーのレンガがお互いを引き立たせてバランスをとり、ビザンチン風のドームをのせた高い鐘塔を中心に、両側に低い鐘塔を並べることで建物が空に上昇していくような雰囲気を演出します。ロマネスク様式の丸いアーチで飾られた窓は、建物全体に優雅な美しさを与え、それぞれの窓に設置された美しい色のステンドグラスを透き通る光が、内部空間をほのかに染めて厳かな雰囲気を醸し出します。
近代建築の美しさが感じられる殿洞カトリック教会の礎石には、あるエピソードがあります。それは、豊南門の城壁に使われた石をカトリック教会の礎石として使ったことです。日本は、日帝強占期(1910~1945)に新しい道を作るために全国の都城と邑城の城壁を取り壊し、全州でも豊南門を除いた全州城の城壁を全て撤去しました。殿洞カトリック教会は、当時取り壊された城壁の石をカトリック教会の礎石として使い、昔の殉教者の記憶が染み込んだ石が、時を経てカトリック教会の礎石になったのです。
このように、100年を越える歴史と記憶が息づく全州殿洞カトリック教会は、時代と宗教を越えて多くの人々に愛され、長い歴史とともにその中にはたくさんの物語が隠れています。